公開: 2024年5月8日
更新: 2024年5月10日
一人の教員が、多数の児童・生徒に対して一斉授業で、教えるべきことを指示されているとき、その使命をどうやって果たすべきかを考えます。その方法として、最も普通の方法は、クラスの「できるだけ多くの児童・生徒」が、自分が教えた内容を理解し、いくつかの典型的な問題に対して、正しいとされている解答を出せるようになるかを考え、教えている児童・生徒の半分以上の児童・生徒が理解できるように説明します。教員によっては、半分より少し多くの児童・生徒が理解できるように説明するかもしれません。
説明の内容を分かり易くして、児童・生徒の大半が理解できるようにする方法もありますが、その場合、児童・生徒の多く(半分ぐらい)にとって、「やさし過ぎる」内容になるので、その児童や生徒たちにとっては、「時間の無駄」と感じられるでしょう。ですから、教員としては、クラスのほとんど全員が理解できるように説明することは、自分の使命を果たせなくなります。また、そこまで丁寧に説明すると、事業時間が足りなくなります。学進度別にクラスを分けて、授業を行うことの意味がここにあります。
このような授業実施上の問題から、児童・生徒の約4文の1にとっては、「やさし過ぎ」でも、約半分の児童・生徒にとっては、「理解でき」、残りの約4分の1の児童・生徒にとっては、「難し過ぎる」授業になるのが、普通です。約30人の児童・生徒が対象ならば、8人にとっては、「やさし過ぎ」、15人にとっては、「適切」で、8人にとっては、「難し過ぎる」授業になります。この理解できない8人の児童・生徒をどうするかが、集団・一斉授業の場合、問題になります。教員の時間に、少し余裕があれば、その児童・生徒に対して、個別指導を行うことができます。
現代の日本社会における小中学校の教育現場では、教員に与えられている任務は、授業だけでなく、生活指導など、様々な仕事があり、授業について行けない児童・生徒の指導までは、手に負えません。このような現状から、義務教育の段階でも、児童・生徒たちが学習塾へ通い、学校の授業で理解できなかった内容を復習することが、半ば前提になっています。しかし、それは、経済的に余裕のある家庭の子供たちだけに許されることであり、全ての子供ができるものではありません。その場合、そのような児童・生徒は、学校での教育から、「落ちこぼれ」て行くことになります。